1407日間
年取ると昔話ばかりでいけないねぇ(^ ^;)2000年の今日の話。
2000年11月19日に始まり、2004年09月26日に終わった、その1407日間の始まりの日でした。
以下は、当時のニュースを掘り出しました。
産経サッカーWEB:平成 12年 (2000)11月19日
■J1第2ステージ第13節
川崎F降格“夢散”1年
J1残留争いは、柏に敗れた年間順位最下位(16位)の川崎Fの2部(J2)降格が決定。同15位の京都も同14位の市原に勝ち点で並ぶ可能性はあるが、得失点差で大きく離されているため、残留は絶望的となった。
産経サッカーWEB:平成 12年 (2000)11月19日
■J1第2ステージ第13節
柏 1−0 川崎F
大型補強が裏目、戦術の徹底遅れる
選手とフロント一丸で出直しを
先に行われた14位の市原が延長Vゴール勝ち。得失点差が大きくマイナスの川崎Fは、この時点で事実上のJ2降格が決まった。
しかし、小林寛監督が「モチベーションが下がる心配があったが、選手はよくやった」という通り、優勝を争う柏を相手に健闘。守備では厳しいプレスをみせたが、前半終了間際の失点を追い付くだけの攻撃力はなく、わずか1年での降格が正式に決まった。
敗因を探ってみると、大型補強で、開幕時は31人の登録中、3分の1が新加入と層は厚くなったが、まったく新たなチームとなり、戦術の徹底が遅れるという裏目の結果となった。
敗戦が続けば、監督の責任が問われる。今季ヘッドコーチから昇格したばかりのゼッカ監督を5月に解任。後任の今井敏明監督も、9月に辞任した。伊藤は「3人の監督の戦術がそれぞれ違い、波に乗れなかった」と、ショック療法よりマイナス効果が大きかったと指摘する。
昨年の優勝監督の松本育夫社長と、現場を預かる小浜誠二副社長との確執も聞こえた。2人とも「まだ、2試合残っている」として多くを語らなかったが、選手にいらぬ神経を使わせた責めを負わなければならない。
主将の奧野は「足りなかったことだらけ。でも、この経験を無駄にはできない」と、1年での復帰を誓う。前期は最終戦でC大阪の優勝を阻み、ナビスコ杯は準優勝と、実力がないわけではない。選手とフロントが一丸となった立て直しに期待したい。
そして。
2004年09月26日より、新たな日々が始まっています。
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