羽の生えた犬を探して(九州徘徊の2)
九州徘徊編その2です……とは言ってもじつはこれは、半年前の去年12月の話だったりしますけど、この機会に。
12月11日に特急かもめで向かった先はここ(@nifty地図にリンク)。
「羽犬塚」です。いえ特急は久留米までで、そこからはワンマン電車でたらたらと行った いやはての先なのですけどね。「はいぬづか」と読みます。そうです、ここには文字通り「羽の生えた犬の塚」が有るのです!
……その真偽については後で検証するとして、まずは私の基本行動である徘徊の理由として、「羽犬巡り」をします。まずは駅前。
駅前にそびえるモニュメント(地図)。……いえ牛ではありません。
「犬羽」と有る通り、これは羽犬のモニュメントです。
この羽は定期的に羽ばたくそうです。残念ながらその時は見る事できませんでしたけど(それを待っているだけの滞在時間はなかった)。
これは横から見た図。かなりでかいです。
背後の姿にもぬかりはありません。それにしても、羽ばたく姿は観ておきたかったですわ。
ちなみにこんな「サンリオ風味」の看板も(^ ^;)駅前の羽犬塚中央商店街が作ったそうで。
さて。駅前から諏訪通りをしばらく進み、国道209号線との交差点で右に曲がります。
筑後県税事務所のそば(地図)。
久留米市と高田市を結ぶ国道209号線と、大川市と大分市を結ぶ国道442号線が交差する山の井交差点に設置されている羽犬像で、2番目に設置された羽犬像だそうで。
(つまりこの周辺には幾つも羽犬像が有るわけです。もちろん全部観てきました、以降で紹介します)
大きく広げられた羽を持つ犬。まぁ羽犬というイメージからはどうしてもこうなるのでしょうね、基本的なイメージはどれも同じです。
二つつめは今来た道を戻り、駅からの道との交差点をさらにそのまま進みます。そして到着したのは筑後市役所前(地図)。
これはアゴを上げ、胸を張っています。
ちなみに筑後市役所にはこんな掲示が。「九州新幹線船小屋駅決定!」
すこし詳細を説明しますと、九州新幹線鹿児島ルートのうち、久留米と(新)大牟田の間にできるという駅が船小屋駅です。というか、ルート概要図を見ても判る通りでこの辺だけ妙に駅が密集しています。
新玉名も気にはなりますけど、それ以上に船小屋は不思議ですね。この辺は筑後市なのですけど、市の中心部は隣の羽犬塚ですし、実際従来線特急も羽犬塚に止まります(時々ね)。 観光地としての船小屋温泉郷の意味……でも、普通に考えてもこの選択は不思議です。なぜ船小屋に新幹線を停めるのか……なんだか不思議ですね。
webを探っているうちに、「新幹線駅は新船小屋駅ではなく古賀駅だ」という感じの記述も。いえ、福岡に古賀市は有りますけどそれは場所が少し違うです。なぜ古賀なのでしょうね。古賀って誰……いえなんでもありません。まぁ、ここに新幹線駅ができた理由は、できた時に駅前に行けば判ることなのでしょう。
話が脱線しました。羽犬巡りに戻ります。
四つめの、そして最後の羽犬像は道をさらに進んだこの羽犬塚小学校前に在ります(地図)。
そばの掲示に依れば、この小学校が在る場所には、大名が遊猟・領国内巡覧などの際に休泊する本陣である「御茶屋」が在ったとか。
そしてこれが小学校前の羽犬像。
台座正面に描かれているのは豊臣秀吉。後述しますが、羽犬伝説には秀吉が大きく関っています。
地上に降り立った瞬間でしょうか、この犬が一番動きが見えますね。
さて。羽犬像巡りの次に、ついに羽犬塚に向かいます。
とは言ってもこのお寺、宗岳寺は羽犬塚小学校のすぐ隣です(地図)。
これが羽犬塚です。門入ってすぐの処に在りました。立派な石塔が建っています。
ではここで、この伝説についてすこし検証してみます。
資料を探してみますと、「羽犬塚」という地名の由来として一般的に伝わっている伝説として「悪犬説」と「愛犬説」のふたつが有るそうです。これらは共に江戸時代に記述された書物に記載されている話ということですが、その内容は以下の通り正反対です。
悪犬説: 昔この土地で「羽のある獰猛な犬」が暴れていた。豊臣秀吉が九州征伐の時にこの犬を退治し、成仏させるため塚をつくって弔った。どちらも秀吉の九州征伐【天正15年(1587年)4月と明記している掲示もあった】を基礎としていますが、しかし実際には塚が築かれた時期とは大きくズレているということだそうで、その時点でかなり無理が有るよう。身も蓋もなく言えば、これらは後から作られた話なのでしょうね。
愛犬説: 九州征伐の際に秀吉は「まるで羽でも生えているかのようにすばしっこい」犬を連れていたがこの地で死んでしまったため、秀吉が悲しんで塚を築いた。
となると、「はいぬ」という音から「羽犬」に転じて、そこから逆に意味が作られたのではないかという推理を私も推します。その線では、「駅馬(はゆま)塚」、「駿馬(はやま)塚」、「端犬(はいぬ)塚」、「灰塚」などから「羽犬塚」に転じたという説が有るそうです。でも私の拙い知識ではこの辺はこれ以上追求できません。
では実際に有るこの「塚」は一体何なのか? これについては、昔このあたりで殿様が狩りの練習のため「犬追い」をしていて、その際に追われた多くの野犬の霊を弔うために立てられた犬塚が地名として残ったのではないかという推測を見つけました。
尤も野良犬を弔うための塚としては「立派すぎる」とは思いますが、それにしても「塚を造ることになった」位ですからそれだけの殺生をしてきた結果として建てたと考えると、なんとか納得できます。
しかしその立派すぎる「犬塚」を見てこれが単なる「野良犬供養の塚」と思わなかった人が出たのも不思議ではないです。ここにはよほどの「立派な犬」が弔われて居るんだろうな、という発想から、いつの間にかここには「化け犬」が弔われているという大仰な話になってしまったのでしょう。そしてこの塚は「はいぬ塚」。転じて「羽犬塚」つまり「羽の生えた化け犬」ということになってしまったのでしょうか……。
これらに対する旁証は、既にこの記事中にも出てきています。それはこのお寺は、『大名が遊猟・領国内巡覧などの際に休泊する本陣である「御茶屋」』そのすぐ側に在ると言う事。「犬追い」で殺傷した野良犬の供養塚を遊猟の際の本陣側に築く事に何の違和感も有りません。これがこの塚の本当の意味なのでしょう。

実際。この塚に建てられている石塔には「犬の塚」としか書かれていませんでしたから。
とわ言えその起源を別としても、羽の生えた犬が居たという話自体は面白いですしそれが地名の由来というのも面白いから良しとします。
別の用のついでとは言え(この時は長崎での天皇杯観戦目的で九州に来ていた)私をこんな処まで来させたのですからね。(年賀状用の写真素材として使うためという目的でも有りましたです。戌年向けのネタとしてはもってこいと思いましたから)
今年の年賀状についてはこちらを参照してくださいな。

おまけ:
羽犬は筑後市のマスコットにもなっています。でも名前が「チク号」ってそれは余りにもベタでわ?(^ ^;)
てな処で、この項終わりです。
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Comments
羽の生えた犬、ロマンチックなようですが何かいわれがあるんでしょうね。テーマのある旅、素敵です。サンリオキャラだけが異色です(^^)。
Posted by: ジェフリス | 2006/05/31 18:53
ジェフリス さん。反応遅れて済みません。
どこから「羽犬」伝説が発生したのかは確かに気になる処ではありますけど、今の処定説は無いようです。それをいい事にもっと無茶な解釈を提示しても良かったのですけど今回は「真面目な記事を作成する」という目的でしたので(^ ^;)
サンリオッっぽいキャラについては、謎です(^ ^;)を
でわでわ。
Posted by: ぐんちゃ | 2006/06/03 10:57