驚愕! 下関の奥地に幻の鯨を見た!
年始休みの際に下関に居たことは既に書いていますけど、今回は下関に行く事にした理由となるネタについて書きます。内容は表題に示す通りですが、現地の人だとこれでもうネタが割れてしまっている?(^ ^;)
今回のキーワードは「くじら」です。「くじら」と言えば私にとっては「白いくじらが」云々という歌と共に沖縄海洋博の「WOSくじら館」のかすかな記憶が呼び起こされるのですけど……いえ今回はその話ではありません。
細かい話は後と言うことで、まず向かった先は海響館です。
ここは外連無く行きましょう。はい、くじらです。
そばに置いてある説明書きに依れば、
シロナガスクジラの全身骨格標本は世界に数体、日本では海響館にしか無い。
骨の全長は23m、生きていた時の全長は26m。
だそうです。
この写真が一番サイズが判りやすいかな? 兎も角でかいです。
ただ私自身は「このくじら」を見に下関に来たわけでは無いんですよね。
確かに、下関にある水族館に居るくじらを見に来たはずではあるのですが……
いえ、海響館の外にあるこの鯨の像を見に来たのでもありません(^ ^;)
「くじらさんありがとう」
というわけで、古い記憶を辿りながらバスで移動です。
関門海峡の下を潜って……
壇ノ浦古戦場の側を通過。
それにしても下関は、「壇ノ浦の戦い」が有れば「巌流島」もあれば、これは幕末の砲台の跡と、歴史的ネタとしてのバリエーションが多いですね。
……10分ほどバスで揺られた後、「下関美術館」の前で下車。
白い建物は「下関マリンホテル」。そして空き地……いえ、ここは以前の「下関市立水族館」が在った場所です。調べてみた処、1956年(昭和31年)11月29日開館だとのこと。私自身、一度だけここに来たことがあるはずです……もう大分前。 しかし1999年(平成11年)9月24日の台風18号による被災により、結局翌年4月15日に完全閉館になったとのこと。
現在では水族館の施設は大半取り払われており、後には空き地が残るだけ。
辺りを徘徊しているうちに、わずかな痕跡を見つけました。駐車場の看板には「水族館専用」という文字の跡(マウスオーバーで拡大します)。
では看板の奥にあった階段を上ってみましょう。
その山の上に……
はい、ついに辿り着きました。
xx年前にここに在った水族館に来たときの姿そのままにこの地に残っていた「くじら」と、再開することができたのです私は。
いや正直これが残っているとは思っていなかったのですけど、海響館のことを調べているうちに「これ」がこの地にそのまま残っていることに気がつきまして。となるとどうしても再会したくなって……で、ついにここまで来てしまったのです。
名前は「くじら(鯨)館」。
看板の内容を要約すれば、昭和33年に建設。全長25m。(旧)下関水族館のシンボル的存在。などなど。
別の資料の情報も加えれば「近代捕鯨全盛期の1958年(昭和33年)大洋漁業(現マルハ)が市制70周年と関門国道トンネル開通を記念して市に贈呈した」と。
ちなみに私のかすかな記憶に間違いがなければ、こちらの青い表示版は水族館の当時そのままのはずです。
上記表示板に書かれているとおりで、水族館当時は中に展示室があったのですけど……現在は閉鎖されて中に入ることができません。(中の記憶は無いです)
でも、もしかすると中もそのままなのかもしれません。実際数年前までは公開されていたそうですし。
回りに残されている展示物も当時のままか? おそらくは。
これはそばに設置されていた「タイムカプセル」。子細は後でも言及しますけど、この地はくじら館共々このままという前提でここに置かれているのでしょうね。
この山は城跡(櫛崎城跡)だったそうで、「関見台公園」として整備されています。
その高台から「くじら館」は、一段下を見下ろす位置となります。
が、見ての通りで回りにはゆとりが無く、この方向以外にくじら全体を撮影することができません。
全身を写すべく、下の海岸まで降りてみました。がしかし
今度は木が茂りすぎでこの状態に。やむなくこちら側からの撮影は断念。
ちなみに海岸の案内図にも、くじら館は明記されています。
これは近くの町内案内図。やっぱりくじらが明記されています。
(くじら館ではなく水族館の痕跡としてですけどね)
ここで位置関係を改めて(海峡ドラマシップに在った衛星写真より)。左の森が関見台公園でその中の四角が城跡の高台です。クジラ館の位置が判らない人はマウスオーバーしてください。右のホテルとの間の空き地が水族館の跡。
ホテル側にまわって、ようやく全体を横から写すことができました。
なお水族館の跡地は「立入禁止」だったので、これ以上は近寄っていませんですこれは念のため。
さて。水族館が無くなってもなおこのくじら館だけが残された理由は正直謎、実際取り壊しの可能性もあったようです(寄贈された物と言うこともあって、おいそれと壊すわけにはいかなかったのでしょうか?)。しかし2002年の『第54回国際捕鯨委員会』の下関開催に合わせて化粧直しが行われ、現状ではこのまま保存の方向だとか。
お蔭様で、私自身はこのくじらとxx年ぶりの再会をすることができました。捕鯨の地である下関の「シンボル」として、海響館の骨格と共にこのままこの地に留まっていて欲しいものです。
(なお現地に行く方法としては、前述している下関マリンホテルか下関美術館を目標にどうぞ、その目の前です)
……というわけで、この日の夕ご飯は「くじら定食」にしました(^ ^;)を →ここ
という強引な下げで(?)、今回はここまで。
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Comments
コネタ道場から来ました。
いやー、懐かしいなぁくじら館。
25年前に遠足に行ったことを思い出します。
ちなみに下関出身で、高校まで住んでました。
で、くじら館の中身ですが、くじらの「ナニ」が展示してあったはずです。
自分のと比較してへこんだ記憶が…
Posted by: たかぼん | 2007/02/03 21:13
たかぼん さん。いらっしゃいまし。
やはりあの辺に住んでいる人にとっては、あの「くじら」はあそこに
居るべきものなのでしょうか、だから今でもその場に居ると。
中の展示……ええと(^ ^;)まぁくじらの中ですから、くじらの中身的
な展示だったのでしょうね。いえ比べなくて良いですから(^ ^;)(^ ^;)
でわでわ。
Posted by: ぐんちゃ | 2007/02/04 23:21