日本初の「人造人間」を巡るあれこれ
「日本初」、また「東洋で初めてのロボット」と呼ばれ、博覧会での巡回の後地下鉄工事を妨害する鬼どもを蹴散らして壮絶な最期を遂げた「學天則」が去年2008年7月、大阪で復元され一般公開されました。
今回はその「學天則」を巡る記事です。
そして「學天則」について気になる事を追求してみました。それは『はたして「學天則」は惹句で言われているように「東洋で初めてのロボット」なのか?』
今回の記事は3段構えでお送りします。
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川崎に在る東芝科学館に行ってきました。
この科学館は東芝工場の敷地内にあるので、ゲートで専用の入館バッチを受け取っての入場となります。ちなみに入場無料です。
ここに来たのは、東芝の創業者の一人である「田中久重」こと「からくり儀右衛門」の「文字書き人形」がレプリカでも見たかったから。
……でもココは映像展示だけでした、これは調査不足すぎでした。(弓曳き童子のレプリカは置いてあったのですけどね)
ともあれ「からくり儀右衛門」の「文字書き人形」は、「寿」「松」「竹」「梅」の4種類の文字を実際に書くことができたそうです。製作は1840年代と推測されています。およそ170年前という処でしょうか。
詳細は公式サイトの方を参照ください、
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さてここからが本題です。2月のある日肥後橋まで行きました。大阪です。
東洋初のロボット「学天則(がくてんそく)」の復元作業が終了
行き先は大阪市科学館です。私自身はここに来るのは2回目です。その時には、科学館で上映する映画用に作成されたというレプリカ(非可動・1/2縮小版)が展示されていました。しかし今回作成されたのは1/1で実際に稼働するレプリカなのです。復元公開自体は去年2008年7月には行われていたのですけど、この記事に気付いたのが最近だったので。実際に動作する姿を見ることができるとなると、もう行く機会を待ちきれず、今更ながら大阪まで行く事としたのです。
その期待を胸に抱いたわくわくの状態で中にはいると、そこに在ったのは!
ロボット「キューブくん」でした。……あれ?
ちなみにこのロボットは、その場で6面の状態を確認すると、両手を使ってあっという間にルービックキューブを解いてしまうという「ロボット」です。
……いえ私が見に来たのはこれはでは有りません。と見回すと
目的の彼は、玄関入ってすぐの所に鎮座していました。位置的に死角に置いてあったのですぐには気がつかなかった。しかしその姿は高さ3.2mと、見上げるほどの巨大なものでした。
『天則に学ぶ…。すなわち、學天則です』
その隣には資料の展示だなも有りました。この写真の人が製作者である西村眞琴博士です。
そしてこれがオリジナルの「學天則」の写真です。
オリジナルは1928年(昭和3年)、京都博覧会に大阪毎日新聞が出品しました。ちょうど80年前ですね。その様相については、荒俣宏著作の『帝都物語「龍動篇」』より以下に引用します。
この人造人間は、全身が金色に輝く金属製の巨人である。しかし、人間に似ているかと言えば、下半身はまったく似ていない。彼の下半身は車輪のついた箱である。(以上角川文庫「帝都物語」第弐番より)
(中略)
また、学天則の胸の部分--といっても、下半身の箱と頭部とをつなぐ、ごく短い胴の部分であるが--にはひときわ目につく花章がある。西村博士によれば、これはコスモスの胸がざりである。コスモスには、宇宙と秩序をも表す言葉だから、学天則に付ける徽章の意匠に最もふさわしい。
最後に、学天則の顔である。西村博士はこの人造人間に、全世界の人種の夢を託そうとした。そのためには、学天則が特定の民族をあらわす容貌を持つべきでない。博士は考えた、考えあぐねた末に、地球を代表する五民族の特徴を、一つに合成した顔を作る決心を固めた。
(中略)
自然の生物に関する全ての象徴を集めたロボット。これこそが西村博士の夢なのだった--。
これを読んでから今回のレプリカの写真を見直すと、可能な限りオリジナルを再現していることが判ると思います。

なお『帝都物語』では學天則の下半身となる「箱」には車輪が付いていたとなっていますが、今回復元された『學天則』には車輪は付いていません(これは念のため)。

また顔も五大民族の特徴を合成したというだけ有って、どこの人かまるで判らない、不思議な面持ちとなっています。
ちなみに
Wikipedia - 學天則
上部に告暁鳥と言う機械仕掛けの鳥が付属していて、この鳥が鳴くと學天則は瞑想を始める。
ということでオリジナルには上部に巨大な鳥が居たそうですけど、今回はそこまで復元はされていません。
オリジナルではドラムに設置したカムが圧縮空気を通したゴム管を開閉することにより動作を制御していたとのことですが、今回はコンピュータ制御のコンプレッサで動作しています。

さて。現在は1時間毎に動作していると言うことでしたので、他の展示を見ながら時間を待ちました。

でも基本的には、こっちの「最新型ロボット」の方が人気でした。ううむ。 尤も私もじっと見てしまいましたけどね。6面を確認した後、あっという間に最短解を見つけて全面揃えてしまうのですから。

そして40分ほど待って。ついに學天則が動く時が来ました。
學天則は目を瞑ってのしばらくの思考の末、左手の霊感灯(インスピレーション・ライト)が輝くと、学天則は目を開けにんまりと笑い、右手のペンで文字を書く。
見ての通り、學天則が実現できたのは、思考のあるような素振りだけ。手に持ったペンでは「学」「天」「則」の三文字を描く予定だったようですが(※これも帝都物語経由です)、京都で展示された際にはそこまでも実現できず、文字を書く素振りで終わっています。つまり「機械」としては、冒頭に示したからくり儀右衛門のが作成した「からくり人形」の方が遥かに複雑な動きを実現していた事になります。
ここで疑問が生じます。
學天則を東洋初の「ロボット」というのならば、江戸時代にからくり儀右衛門が作成した「からくり人形」はロボットではないのか? まぁこの疑問自体はここでは置きますけども。
一つの答えとして、學天則はチャペックが「R・U・R」で「ロボット」という造語を示した(1921年・大正10年)それ以降に制作されたから「ロボット」と冠されているということになっているという考えがあります。実際、西村博士は著作で「R・U・R」に言及している部分があり、博士自身、學天則制作の前に「R・U・R」を読んでいるようです。しかしその著作によれば、學天則は労働者の代替として造られた“ロボット”ではないともしています。
実際、學天則は「労働者の代替」を目的とはしていません。
大阪市立科学館、「学天則」を動態復元
では「學天則」とはどんなロボットだったのか。彼が造ろうとしたのは、機械的なロボットではなく、人工的な生物の再現だった。動物の筋肉や血管を再現しようとしてゴム管と空気を用いた駆動を採用し、スムーズに動かすことを目指した。反射神経の働きなども研究したという。できあがった學天則は、ヨーロッパのオートマタに近い仕組みのロボットだった。あることは文字を書き、霊感灯を光らせ、ほほえむだけ。それは実用、労働力の代替を目指していたロボットとはまったく違ったものだった。
西村博士は「學天則」を「人造人間」としています。人間を模して造られた「人造の」人間です。だからこそ、その動力も敢えて「空気圧」を利用して「血の流れ」の代替とる形で「人を模して」作られているのです。

「學天則」はロボットではなく「人造人間」です。
(帝都物語でも學天則は「魂の無い人間の代替」として鬼と対峙することになりますが、その事が西村博士に最後の決断を促す事となります。子細は小説をお読みください)
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学天則は京都での博覧会の後、東京ほか各地の博覧会などを巡回し人気を博したのちドイツに渡ってそのまま行方不明になったとされています。そのため、現在オリジナルは存在していません。
しかしもちろん、映画「帝都物語」を見た人は、『ドイツに渡った後に行方不明』とは表向きの理由で、実際には地下鉄銀座線工事を妨害していた鬼達を退治の果てに壮絶な最期を遂げたのはご存知でしょう。
という*前提*を元に、今回の記事のまとめとして「學天則の最後の場」を見に行くことにしました。
「帝都物語」でも描かれている通り、地下鉄銀座線は1927年(昭和2年)に日本(東アジア)で最初に営業を開始した地下鉄であり、開始当初は浅草-上野間(2.2km)で営業を始めました。

これは上野駅からの銀座線地下鉄駅への入り口です。現在でも当時の痕跡が伺えるような気がします。

改札入ってすぐに、開通当時の線路が展示されてありました。

今まで特に気にはしていませんでしたけど、こうしてみると確かに地下鉄銀座線は天井も低く掘られた穴自体が小さいことがよく判ります。

上野を出発。

上野から3分ほどで稲荷町に到着。「帝都物語」の記述では、『地上は稲荷町から上野にかけての商店街』ということで學天則が爆破した地点はこの間のはず……でも、よく判りません。 なので、稲荷町から上野へ戻る際は動画で録ってみました。
學天則の残骸は見えましたか?
今でも學天則は、このどこかに眠っているのです。
参考サイト:各記事引用部分には、該当URLを明示しています。
大阪市立博物館:プレスリリース 東洋初のロボット「学天則(がくてんそく)」の復元作業が終了
Robot Watch:大阪市立科学館、「学天則」を動態復元~80年前の「人造人間」が復活
wikipedia:學天則
探検コム:ロボット誕生 あるいは日本初の人造人間の「思想」について
参考文献:
地球は人間だけのものではない―エコロジスト西村真琴の生涯

畑中 圭一 (著)
學天則自体については1章のみですが、西村博士の人となりや背景を確認する事ができました。
帝都物語〈第弐番〉

荒俣 宏 (著) (角川文庫)※写真は「第壱番」です。
文庫判です。旧版では12冊構成でしたけども、現在は6分冊で構成されています。學天則が登場するのは「帝都物語3 大震災(カタストロフ)篇」「帝都物語4 龍動篇」で、これは新装版では丁度「第弐番」がその両方の合本となっています。それにしても今回読み返して、その圧倒的な分量の博物に基づいた世界には圧倒されましたです。ダンブラウンなんか底が浅すぎで、目じゃありません。
と言うわけで今回の記事もそのつもりで書いていますので、念のため。まぁそのまま信じる人は居ないとは思いますけどね。
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