15年10月18日の徘徊(ウサギと戯れる)
試合の記事書く気起きないので、翌日の徘徊を先に。
試合後電車で移動して、某所ホテルで一泊。
翌18日朝。
泊まったのは竹原でした。2回目。ここから空港行きの乗り合いタクシーが出ているので、帰りも戻りやすいから。
マッサンの故郷だそうです、朝ドラでは一週ほどで終わっていたような。
「おかえりなさい」
いえ今からまた移動です。
電車で
30分ほど。ただの海です。
ここで降りて
ここからはフェリー。
片道310円
しばらく待っているとフェリー登場。
乗船。
船は
15分ほどで対岸の島に到着。
まぁおわかりの人はおわかりとは思いますけど。
うさきの島、大久野島です。
1970年代に「島外の小学校で飼育されていたウサギが島に放されて野生化、繁殖して増えた」とのことです(この辺の記述はwikipediaより)
というわけで、たまに寄ってくるウサギにエサ与えながら、
島を徘徊。
この島では戦中毒ガス製造工場が在ったそうで、現在もその廃墟が残っています。
これは資料館。
これは研究所の跡。
暑かったからか、ウサギはそれほど見かけませんでしたけど。
対岸の工場。
毒ガス貯蔵庫の跡。
毒ガス工場と言う事で、戦後米軍が来て全部破壊したため、跡しか残っていません。
今日のすかーさま。
なおウサギのえさなどは島内では売られて無く買うとしたら忠海のフェリー乗り場でですが
私は昨日のうちにスーパーでキャベツ(半玉100円)を調達して
これを配りました。
慣れているのは良いけど。
ふらふらと島の北方へ。
トンネルをくぐり
砲台をながめ
そしてウサギ。
火薬庫跡。
ウサギ。
発電所跡。なんか謎のリズムです。
こういう風に近寄ることができる廃墟も、余りないような気も。
そんなこんなで。廃墟を眺めながらふらふら徘徊しつつ、
その辺にころがっているウサギにキャベツをまいてきました。まぁまだ暑かったからか、ウサギも基本的にやる気無さそう。なんぞの映像で見たようなヒッチコック状態ではありませんでした。
それでもエサやるぞと言うそふりを見せると寄ってくるくらいの元気のあるウサギは、差し出したキャベツを取り合いするほどの元気状態。島という閉鎖空間だけに、ウサギ「だけ」に餌付けすると食物連鎖のバランス崩れそうな気もしますけど大丈夫なのか、とは思いつつも。それでも可愛いからと言うだけでエサをまく自分自身への矛盾も感じながらの徘徊でした。
滞在時間2時間ほど。
再びフェリーで忠海港に戻って来ました。と、12時過ぎほどでしたが
これから島へ行く人の方が多い。
電車が来るのをしばらく待って……実際電車が少なく、フェリーの待ち時間が余りできないように組み合わせるのが難儀でした。これはアオハタの工場見学エリア、開いてなかったけど。
黄色い電車で
竹原に戻ってきました。
ホテルで見たので判ります。これはここのゆるキャラです。
ともあれ歴史保存地区へ移動
……気にせず、と言われても。
商店街にやっぱりいました、「ももねこ……様」
それを抜けてしばらく進むと
写真館。
さらに進んでいくと、
時間軸も狂ってきて
二昔前ほどに。
ともあれ、ここはまっすぐ
ほり川。へ。というかここ、ゴロちゃんの家だ(@時かけ)前回来た時にはそういうこと意識してなかったけど。
お好み焼きやさんだったので、酒粕入りのお好み焼きを頂きました。うまうま。
お腹もくちたので、しばし徘徊。スカイツリ-?
……だそうです。
その隣の階段を上って
上からも。
その上にはお寺。
そのまま、しばしこの時間を
徘徊して
ラベンダーの香りに導かれて、現代に
戻って来たのでした。
ここからは乗り合いタクシーで(午前中に予約済)
空港へ。と
ここにも、ももねこ様。
16時には広島空港に到着。
チェックイン時間までPCコーナーに滞留して
ここから再び成田へ。
運が良かったのか? 帰りの便は特に遅れることもなく出発。
成田空港からはこれも東京シャトルで
東京駅まで出て最後は横須賀線。
路線バスが動いている時間の内に小杉まで戻ってくることができました。
この項ここまで。
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