失われた塔を探して
ゴールデンウィークの際の大阪万博ネタの続きです。……意識してここまで保ってたのですけど、却ってタイミング悪くなったな(x x#)
2002/11/16
その前に
この写真は2002年に長居に桜大阪-新潟戦(桜J1復帰決定試合)を見に行った日に写しました。エキスポタワーが解体されると聞いて、行かないわけにはいかなくなり伊丹空港からまっすぐ万博公園へ。見ての通りで解体寸前(実際には内部の解体が行われていた)、この5日後には主構造部の解体が始まっています。偶然ではありますが、タワー自体が姿を保っていた最後のギリギリのタイミングで、塔を見送ることができました。
2002/11/16
日本庭園から見たエキスポタワー。
2002/11/16
当時の案内板。そして……
2005/05/05
2005年5月5日の案内板。エキスポタワーの名はもう有りません。
今回は、2002年11月16日に撮った写真にできるだけ近い現在の写真を撮影して、失われた塔を偲ぶという企画です。……失われた物は、塔だけではありませんでしたが(i i)(i i)
2002/11/16
2005/05/05
万博公園正面入り口前の陸橋より。
2002/11/16
2005/05/05
モノレール駅前より。
エキスポタワー手前の突起のあるビルは「協会本部ビル」。数少くなった35年前からのビルです。
2002/11/16
2005/05/05
エキスポランド横の階段、旗竿も当時のまま残っています。
ちなみにタワーが建っていた敷地内のすぐそばには、エキスポタワーのジョイントが残されていました。
そしてこれは、エキスポタワーのパーツで造られた「アート」、ヤノベケンジという人の作品で「TOWER OF LIFE」だそうで。ただこの日は何かの工事中だったのか、閉鎖されたタワーの敷地内には工事の残土廃材置き場になってしまっていました。
2002/11/16
2005/05/05
そして……2年半前から無くなってしまったのは、エキスポタワーだけではありません。
太陽の塔の背後に控えていた、「万国博ホール」と「万国博美術館」も今は在りません。
エキスポタワーと同じく、万国博ホールと万国博美術館の名前も消されています。
跡地はまだ整地中で、周りを塀で囲んでいる状態でした。その塀には35年前の写真が並んでいました。
残されているお祭り広場の大屋根も、今では老朽化激しいようです。
また、唯一そのまま残されているパビリオン「鉄鋼館」も、後はもう長くないように思います。そもそも、残した理由はとうの昔に失われているのですし。
最後に残るのは、永久保存が決定している太陽の塔だけなのでしょうね。
しかし。
「人類の進歩と調和」を謳った建物群は既に過去となりましたが、そのテーマに真っ向から対抗した像は永遠にここに立ち続けます。たとえここが森に沈んでしまうこととなっても。
そういえば、
愛知長久手の博覧会でも、一部のパビリオンなど設備を残すという動きがあるようです。……でもそれで、後に残ったのは廃墟だけ、と言うことにならなければよいのですけど。
→ちなみに愛知窮迫には来月行く予定です。
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